2015年7月31日金曜日



草の上

かなかなはどこで啼いてゐる?
林の中で、霧の中で

ダリアは私の腰に
向日葵は肩の上に

お寺で鐘が鳴る。
乞食が通る。

かなかなはどこで啼いてゐる?
あちらの方で、こちらの方で。

三好達治


昨日からの続き。三好達治の『測量船』より「草の上」

2015年7月30日木曜日



草の上

野原に出て坐つてゐると、
私はあなたを待つてゐる。
それはさうではないのだが、

たしかな約束でもしたやうに、
私はあなたを待つてゐる。
それはさうではないのだが、

野原に出て坐つてゐると、
私はあなたを待つてゐる。
さうして日影は移るのだが――

三好達治

2015年7月29日水曜日



うば玉の 夢にぞ見つる 小夜衣 あらぬ袂を 重ねけりとは

後深草院 『とはずがたり』後深草院二条 より


後深草院は鎌倉時代中期の天皇。後深草院二条は、後深草院に仕えた女房で「とはずがたり」の作者。後深草院の寵愛を受けているにも関わらず、二条は「雪の曙」と呼ぶ貴公子とも深い関係にあった。そして、その事実を知った後深草院が二条への手紙とともに送ったのが、この和歌。

男性の嫉妬は恐ろしい。しかも、この場合、ただの嫉妬では終わらない。後深草院は嫉妬しながらも、劣情を燃え上がらせていた。後深草院の二条に対するアブノーマルな感情を物語る一首。

とはずがたりの人間関係を知りたい人はこちらをどうぞ。 Wikipediaとはずがたり
もっと詳しく知りたい方はこちら。ちょっと長め。967夜『とはずがたり』後深草院二条|松岡正剛の千夜千冊

2015年7月28日火曜日



ああきみは情慾のにほふ月ぐさ、
われははた憂愁の瀬川の螢、
いきづかふ舟ばたの光をみれば、
ゆふぐれのおめがの瞳めにて、
たれかまたあるはをしらむ、
さざなみさやぎ、
くちびるはそらをながるる。

萩原 朔太郎


2015年7月27日月曜日



山里なるところにありしをり、艶なる有明に起き出でて、まへちかき透垣に咲きたりしあさがほを、「ただ時のまのさかりにこそあはれなれ」とて見しことも、ただ今の心地するを、「人をも花は、げにさこそおもひけめ、なべてはかなきためしにあらざりける」など、思ひつづけらるることのみさまざまなり。

有明の 月に朝顔 見し折も 忘れがたきを いかで忘れむ

建礼門院右京の大夫


建礼門院右京大夫は、平清盛の娘である建礼門院徳子に仕えた女房。清盛の孫、平資盛の愛人でもあった。昨日からの続き。朝顔は、花の朝顔と恋人の朝の顔がかけられている。昨日の一首の次に、この句が続けられている。忘れがたい恋の相手、資盛を思って詠った一首。

2015年7月26日日曜日



山里なるところにありしをり、艶なる有明に起き出でて、まへちかき透垣に咲きたりしあさがほを、「ただ時のまのさかりにこそあはれなれ」とて見しことも、ただ今の心地するを、「人をも花は、げにさこそおもひけめ、なべてはかなきためしにあらざりける」など、思ひつづけらるることのみさまざまなり。

身のうへを げにしらでこそ あさがほの 花をほどなき ものといひけめ

建礼門院右京の大夫


建礼門院右京大夫は、平清盛の娘である建礼門院徳子に仕えた女房。清盛の孫、平資盛の愛人でもあった。

2015年7月25日土曜日

もの思へば 沢のほたるも わが身より あくがれ出づる 魂かとぞみる

和泉 式部


古語の「あくがる」は、心が離れる、うわの空になるの意。蒸し暑い初夏の夜、ふわふわと浮かぶ蛍の光を詠んだ一首。昨日に引き続き、夏の虫を詠んだ歌を選びました。

2015年7月24日金曜日

蝉の声 きけばかなしな 夏衣 薄くや人の ならむと思えば

紀友則


蝉の羽ほどに薄い夏衣のように恋心も薄くなってしまうかと思うと、蝉の声もかなしく聞こえる。個人的に好きな歌人、紀友則の夏を詠んだ一首。

2015年7月23日木曜日

祖母
祖母は蛍をかきあつめて
桃の実やうに合わせた掌(て)の中から
沢山な蛍をくれるのだ

祖母は月光をかきあつめて
桃の実のやうに合わせた掌の中から
沢山な月光をくれるのだ

三好 達治


しわくちゃの手の隙間から漏れるわずかな光。明滅するたびにほの明るく祖母の顔を照らす。山奥の神秘的な美しさ。手の甲に刻み込まれた皺には、今だ見知らぬ人生のドラマが刻まれているのだろうか。

2015年7月22日水曜日

雲雀あがる 大野の茅原 夏くれば すずむ木陰を ねがひてぞ行く

西行


雲雀は春の季語。春には雲雀が鳴いていた茅の野原も、夏がくれば木陰を頼って行くようになる。春から夏へ。背の低い茅から背の高い木へ。季節の移り変わりとともに。視点の高さも変わる。

2015年7月21日火曜日

rosie

Well, I'm sitting on a windowsill, blowing my horn
Nobody's up except the moon and me
And a lazy old tomcat on a midnight spree
All that you left me was a melody...

Tom Waits


これまでと趣向を変えて、今日は歌詞、そして英語の一文から。酔いどれ詩人こと、トムウェイツのデビューアルバム"Closing Time"に収められている"Rosie"の出だし。昨日に引き続き、猫と月の取り合わせの詩を選んでみた。騒々しい夜中の喧騒の中で、誰にも気づかれず佇む自分と月。ぜひとも甘い歌声とともに歌詞を味わってほしい。下はYouTubeから。その内に削除されてしまうかもしれないので、聴くならお早目に。

2015年7月20日月曜日

夜景

高い家根の上で猫が寢てゐる
猫の尻尾から月が顏を出し
月が青白い眼鏡をかけて見てゐる
だが泥棒はそれを知らないから
近所の家根へひよつこりとび出し
なにかまつくろの衣裝をきこんで
煙突の窓から忍びこまうとするところ。

萩原 朔太郎


夜景というと、ニューヨークの摩天楼や函館など、光が煌めく夜景を想起する。戦前の夜の景色はどんなものだったのだろう。今よりずっと暗くて静かで、空が高くみえただろう。くるんとした猫のしっぽに月の丸み。弧月かもしれないし、満月かもしれない。青白い月光に照らされたユーモラスなサイレント映画の一幕のよう。

2015年7月19日日曜日

吉野川 岩波高く 行く水の はやくぞ人を 思ひそめてし

紀貫之


紀伊山地を流れる吉野川。雨の多い山間地を流れる川の流れは激しい。岩場に当たり飛沫を上げながら流れる水のように激しく人を思う恋心を詠った和歌。

2015年7月18日土曜日

鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

与謝野晶子


鎌倉の大仏を詠った与謝野晶子の一首。大きな仏像に見惚れていると目に入ってくる、青々とした木々。仏像を見上げた時の青空と、緑の木立とその木陰。青と緑、日差しと影、色彩と光のコントラストを感じさせてくる。

与謝野晶子も見惚れた鎌倉の大仏様を拝顔したい方はこちら(高徳院-wikipadia)。確かに整った顔立ちをしていらっしゃる。

2015年7月17日金曜日




木精

夜をなきあかす
かなしみの
まくらにつたふ
なみだこそ

ふかきはやしの
たにかげの
そこにながるゝ
しずくなれ

島崎 藤村 『若菜集』


2015年7月16日木曜日



清滝の 瀬々の白糸 くりためて 山分け衣 織りて着ましを

神退法師


山分け衣は修験者が、山に分け入るときに着る衣のこと。滝の白糸を集めて衣を織って着てみたい。鬱蒼とした緑の中でひときわ目立つ白糸。読むだけで清らかな情景が瞼に浮かぶ一首。

2015年7月15日水曜日



身のうさは とふべき人も とはぬ世に あはれにきなく ほととぎすかな

藤原俊成


藤原俊成は、藤原道長の曾孫に当たる藤原俊忠の子で、小倉百人一首と新古今和歌集の編選者の藤原定家の父にあたる。道長を祖とするものの傍流であり、政治的には浮かばれない年月が長かった。浮かばれぬ身の憂さをほととぎすの声に託した一首。

2015年7月14日火曜日



夏の夜は まだ宵ながらに 明けぬるを 雲のいづくに 月やどるらむ

清原深養父 『小倉百人一首』


清原深養父は、枕草子の清少納言の曽祖父。小倉百人一首に選ばれたこの一首も、その編纂者である藤原定家の父、俊成に見出されるまでは名歌として認められていなかったのだとか。夏の夜は短く、あっという間に明けてしまう。月はどこに隠れてしまったのだろうか。明け方の美しい色彩の変化がまぶたに浮かぶ。

2015年7月13日月曜日



五月山 梢を高み ほととぎす 鳴く音そらなる 恋もするかな

紀貫之 『古今和歌集』


旧暦の五月は、梅雨の頃。瑞々しい初夏の梢に響くほととぎすの鳴き声。けたたましさすら感じる甲高い鳴き声は恋の激しさに通ずる。ほととぎすの声が響く「空」と恋をして空ろになった心を表す「空」がかかっている。

ほととぎすの声がわからないという方はこちら(サントリーの愛鳥活動 - 日本の鳥百科のページ)。どこかで聞いたことがある人も多いはず。

2015年7月12日日曜日


ともすれば 死ぬことなどを 言ひ給ふ  恋もつ人の ねたましきかな

柳原白蓮 『踏絵』


大正三美人の一人、夫への絶縁状を新聞紙面で公開し、センセーショナルな衝撃を与えた白蓮事件の当事者でもある柳原白蓮の短歌。七月十日の原阿佐緒の短歌と似通うところが多い。原阿佐緒のものは皮肉で自嘲的だが、柳原白蓮のものは直情的。姦通罪で訴えられるリスクを冒してまでも、年下の恋人と駆け落ちした白蓮の激しい性格が感じられる。

2015年7月11日土曜日


見ずや君明日は散りなむ花だにも力の限りひと時を咲く

九条武子


大正三美人のひとり、九条武子。生家は西本願寺主家。アンニュイな表情を浮かべる写真が印象的だが、実は活発な性格だったそうだ。京都女子大学の設立に尽力した社会活動家としての一面も持つ。

2015年7月10日金曜日


吾がために 死なむと云ひし 男らの みなながらへぬ おもしろきかな

原 阿佐緒


大正時代の女流歌人、原阿佐緒の短歌。NHKの朝ドラ「花子とアン」ですっかり有名になった柳原白蓮と並び称される美貌の歌人。原阿佐緒、柳原白蓮に九条武子を加えて、三閨秀歌人と呼ばれた。それにしても閨秀歌人って、今の時代ならフェミニストに張り倒されそうなネーミング。

2015年7月9日木曜日


大きなる 手があらわれて 昼深し 上から卵を つかみけるかも

北原白秋 『雲母集』


ミクロからマクロへ。視点が移動するような感覚がする。ダイナミックでありながら、日常の風景を切り取った一句。

2015年7月8日水曜日


ひきのけて、空をみあげたれば、ことに晴れて、浅黄色なるに、ひかりことごとしき星のおほきなる、むらなく出でたる、なのめならずおもしろくて、花の紙に、箔をうち散らしたるによう似たり。こよひはじめてみそめたる心ちす。さきざきも星月夜みなれたることなれど、これはをりからにや、ことなる心ちするにつけても、ただ物のみおぼゆ。

月をこそ ながめなれしか 星の世の
ふかきあわれを こよい知りぬる

建礼門院右京大夫 『建礼門院右京大夫集』


建礼門院右京大夫は建礼門院徳子に仕えた女官であり、平清盛の孫、資盛の恋人でもあった人。平家のの没落により、主人である徳子は出家し、大原へ。恋人である資盛は壇ノ浦で海の藻屑に。すべてを失った右京大夫は、兄の元へ身を寄せるのだが、その時に詠まれた和歌。雪降る夜に、布団をはらいのけて、空を見上げると、和紙に箔を散りばめたような星が瞬き、その美しさに気がつく。

昨日の天の川に続き、今日も星の歌。和歌に添えられた詞書の描写が美しい。

2015年7月7日火曜日


かささぎの 渡せる橋に おく霜の
白きを見れば 夜ぞふけにける

中納言家持


七月七日、今日は七夕。牽牛と織女のために、天の川にかけられた橋は、鵲の白い羽を連ねたものだそうです。天上人である帝の元へと参上する大友家持が、その途上にかかる橋に降りた霜を天の川に見たてた和歌。七夕といえば夏の風物詩ですが、和歌の世界では天の川は秋の季語。

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